山梨県知事 長崎幸太郎氏
2026.08.14
具体的な「解」を示す ~山梨県の取り組み~
山梨県知事 長崎幸太郎氏
はじめに 本稿は、2026年4月に地方創生パートナーズ株式会社において行われた山梨県知事・長崎幸太郎氏の講演内容をもとに、事務局の責任において再構成した講演録である。なお、固有名詞・数値等は原則として講演時点の発言に基づく。
本稿の構成
1. 水素社会の実装
2. 富士トラムによる交通網再編
3. 100年先を見据えた都市緑化
結び 山梨県が描く持続可能な地域社会の将来像
知事は、就任から七年にわたり「停滞を許さず、山梨の未来へ挑戦しつづけること」を基本テーマとして掲げ、県内に潜在するあらゆる可能性を余すことなく引き出すべく、各種施策に取り組んできたと述べる。
足元では、社会・経済の構造そのものが大きく変化しており、従来の前提が通用しない局面に入っているとの認識が示された。こうした状況下では、既存の延長線上ではなく、本質に立ち返った対応が不可欠であると指摘する。
山梨県は歴史的に、甲州財閥を中心に電力や地方鉄道などの事業を通じ、多様なリスクに向き合いながら公益を重視して挑戦を続けてきた地域である。このような伝統を再認識し、その精神に立脚した県政運営を進めていると説明した。
以下では、知事が県政の取り組みの中で特に重要と位置づける三つのテーマについて紹介する。
1.水素社会の実装
①水素社会実現へ 山梨県のビジョン
山梨県ではこれまで、P2G(Power to Gas:水の電気分解により水素を製造するシステム)を軸に、水素社会の実現に向けた取り組みを進めてきた。研究・実証を経て、現在は実装段階に移行している。同県には、山梨大学において燃料電池研究で多大な実績を持つ渡辺政廣特命教授が在籍し、さらに技術研究組合FC-Cubic(燃料電池の性能評価事業)の研究機関が集積していることから、水素分野に対する高い技術的基盤と親和性を有している。FC-Cubicでは、水素の製造から利活用に至るまで幅広い研究が進められている。具体的には、甲府市南部の米倉山を中心として、グリーン水素の製造・貯蔵・輸送・利用までを一体化したサプライチェーンを構築し、社会実証を実施した。こうした取り組みはいよいよ実装へと移りつつある。
2022年には、山梨県、東京電力ホールディングス株式会社および東レ株式会社が連携し、これまでのP2Gシステム開発の成果を発展させ、カーボンニュートラルの実現を目指す国内初のP2G専業会社「株式会社やまなしハイドロジェンカンパニー(YHC)」を設立した。同社を中心に、日本各地および海外に向け、P2Gシステムを核とする水素エコシステムの展開を進めている。
さらに、2025年10月には、県北部の北杜市に所在するサントリー白州工場において、国内最大級の出力規模を有するP2Gシステムが稼働した。現時点では、ペットボトルの煮沸消毒といった限定的な用途に活用されているが、将来的には白州蒸溜所におけるウイスキー製造の熱源としての活用も期待される。 加えて、今後はP2Gシステムの中核装置のアセンブリについても県内での実施を予定しており、カナデビア株式会社が固体高分子(PEM)型水素発生装置の中核機器である「水電解スタック」の量産工場を都留市に建設することが決定している。これにより、関連産業の集積と地域経済への波及効果が見込まれる。
また、P2Gシステムは全国にも展開が進み、東京都大田区の京浜島に設置された「京浜島グリーン水素製造所」では、「やまなしモデルP2Gシステム」が採用されている。同システムは、機器構成の合理化を図ったパッケージ型であり、狭小地にも対応可能な設計となっている。ここで製造された水素は、燃料電池バスや各種産業用途のエネルギーとして活用される。
今後の展開としては第一に、水素関連産業の地場産業化である。これは、前述のアセンブリ工場を核として、県内企業が部品や材料を供給するサプライチェーンの構築を進める取り組みである。第二に、グリーン水素分野における「知の拠点」の形成である。本年10月には県内で国際水素サミットの開催が予定されており、世界との交流を通じた人材育成と知見の集積を図る。
このように山梨県では、水素社会の実現に向け、研究・実証段階を経て、実装、さらにはその先にある将来像の構築に向けた議論と取り組みを進めている。
②山梨県がイメージする水素社会の未来
水素社会の将来像について、P2Gシステムの特長に着目しながら説明する。すなわち、メンテナンスが容易であり、小型かつシンプルな構成であることから、オンサイトでの導入が可能である点に大きな意義があるとする。こうした特性を踏まえ、水素の利活用について三つの方向性が示された。
第一は、産業分野への展開である。この分野については既に実装段階に入っている。サントリーの事例に加え、UCCでは水素を用いたコーヒー焙煎が実用化され、セブン-イレブンにおいて提供されている。水素による焙煎は、単に環境配慮型であるという点にとどまらず、品質面での優位性を持つ点が特長である。UCCによれば、焙煎に適した弱火を天然ガスやLPガスで安定的に維持することは難しいが、水素であればこれを安定的に供給できる。また、水素は瞬間的に高温を発生させることができるだけでなく、水蒸気を同時に発生させる特性を有するため、例えばトーストにおいて外側はカリッと、中はしっとりとした食感を実現するなど、新たな付加価値の創出が可能となる。
第二は、エネルギーの地産地消の実現である。近時の中東情勢を背景として、エネルギー安全保障の重要性が改めて認識される中、P2Gシステムは地域内でのエネルギー循環を可能とする有力な手段となり得る。このため、同システムは国内にとどまらず海外からも強い関心を集めており、とりわけインドにおける関心は高い。インドは原油資源に乏しいことから、水素を国産エネルギーとして活用する可能性に期待が寄せられている。こうした中、人口約2億4,000万人を擁するインド最大の州であるウッタル・プラデーシュ州のヨギ・アディティヤナート首相が来日し、山梨県を訪問した。同首相は米倉山におけるP2Gシステムを視察し、水素技術および人材育成分野における協力の深化で一致した。
第三は、「やまなしカーボンフリー農業モデル」の構築である。これは、夏季に農家が自ら発電した電力を水素に変換していわゆる“預金”のように蓄積し、冬季にビニールハウスの加温燃料として活用する構想である。現時点では、加温用途への適用可能性について実証が進められている段階にある。農業分野においては、夏季にエネルギーが余剰となる一方で、冬季には不足するという構造的課題が存在する。また、エネルギー価格の変動が生産コストに直接影響を及ぼすことも大きな課題である。こうした課題の解決に向け、同モデルの実現が期待される。
以上のように、水素社会の将来像は、産業、エネルギー、農業の各分野において新たな価値創出をもたらすものとして位置づけられており、山梨県はその実現に向けた具体的な取り組みを進めている。
③水素を製造し近隣で消費する「地域水素利活用モデル」を全国に展開
「やまなしモデルP2Gシステム」の特長として、水素を製造し、その場または近隣で消費する「地域水素利活用モデル」の全国展開を目指している点を挙げる。 同システムは、大容量モデルとコンパクトモデルの双方に対応可能である点が特長である。大容量モデルでは、サントリー天然水南アルプス白州工場および白州蒸溜所に導入されたP2Gシステムが出力16メガワットと国内最大級の規模を誇る。一方、コンパクトモデルでは、東京都大田区の京浜島グリーン水素製造所において採用されているシステムが代表例である。
このようにP2Gシステムは、規模に応じて柔軟に展開できる点に特長があり、大容量から小規模まで幅広い用途に対応可能である。例えるならば、個々のユニットを組み合わせることで出力を拡張できる「モジュール型」のシステムであり、必要に応じてスケールアップ・スケールアウトが可能である。用途や設置環境に応じた柔軟な運用が可能であり、実装段階における高い汎用性を有していると言える。
④水素版 ダボス会議の開催
これまでに蓄積してきた社会実装の知見を世界と共有していく必要性を強調する。具体的な取り組みとして「富士ハイドロジェン・サミット2026」の開催を挙げる。同サミットは本年10月に山梨県で開催予定の国際会議であり、グリーン水素の実証・実装の現場で培われた知見を共有するとともに、各国・各地域が次の一歩を描くための議論の場となることを目的としている。
水素の社会実装を進めるうえでは、技術面のみならず、人材育成や制度・ルールの違いといった多面的な課題が存在する。本サミットでは、山梨県がこれまでの取り組みの中で蓄積してきた知見や工夫を共有しながら、国内外の行政、企業、研究機関が課題認識を共有し、実装を阻む要因の整理と解決に向けた議論を行う。その成果を広く世界に発信することで、グリーン水素の社会実装を加速する仕組みづくりへとつなげていく構想である。 既にアメリカ、ドイツ、オーストリア、インド、ブラジル、ベトナム、韓国など、各国から参加の意向が示されているという。将来的には本サミットを年次開催とし、「水素版ダボス会議」としての位置づけを確立するとともに、「山梨県=グリーン水素分野における知の拠点」という国際的なブランドの確立を目指す。
⑤水素サミットの先に
本サミットの先に見据える取り組みとして、水素分野における人材育成拠点の整備について言及する。具体的には、世界各国から技術者や学生を受け入れ、水素に関する技術や実務を体系的に学べる環境の整備を構想している。ここで育成された人材が各国で活躍し、技術と知見を還元していく循環の構築を目指すものである。
2.富士トラムによる交通網再編
①リニア駅と富士山を直結し、リニア効果を最大化
山梨県では、JR東海によるリニア中央新幹線の開業が予定されているが、停車本数の拡大が重要な課題として認識されている。 リニア中央新幹線が開通すれば、山梨と品川は約25分で結ばれる。一方で、山梨県の地価水準は東京と比較して低い水準にある。例えば東京都内で3LDK・約60㎡のマンションを購入するのと同程度の予算で、山梨ではより広い居住空間を確保することが可能である。こうした条件を背景に、都市圏との往来が容易になれば、山梨への人口流入が進む可能性がある。将来的な人の流れを見据え、県では住宅、教育、介護といった生活基盤の整備・強化を進めている。
そのうえで、リニア中央新幹線の停車本数を増やすための鍵として、山梨県が有する最大の観光資源である富士山へのアクセス強化が挙げられる。すなわち、リニア駅と富士山を効果的に結びつけることで、広域的な人の流れを創出し、停車需要を高めることができるとの考えである。
②富士トラム=鉄道+バス
富士トラム構想の具体像について、従来の鉄道やバスとは異なる新たな交通モデルとして説明する。 山梨県ではこれまで、富士登山鉄道の整備構想について検討を進めてきたが、鉄路の敷設に対する環境面等の懸念から、多様な議論が重ねられてきた。その中で、従来の鉄道に代わる手段として、タイヤで走行する電動車両の活用に着目した。 この方式は、一般道路を走行可能であることから、従来想定されていた麓から五合目までの区間にとどまらず、リニア駅までの延伸が可能となる。これにより、リニア駅と富士山を直接結ぶ新たな広域交通ネットワークの構築が視野に入る。
現在、山梨県は関西・中京圏からのアクセスに必ずしも優れているとは言えないが、リニア中央新幹線により名古屋方面と直結すれば、大幅な利用者増加が見込まれる。富士山五合目への来訪者は年間500万人を超える規模にのぼり、その一部がリニアを利用する動線が確立されれば、現行の停車本数では需要に対応しきれない可能性がある。こうした需要創出を通じて、リニア山梨県駅の停車本数増加にもつながることが期待される。
このような背景のもと検討されているのが「富士トラム」である。富士トラムは、従来のLRT(Light Rail Transit)による登山鉄道構想に代わる選択肢である。世界文化遺産である富士山の環境保全と地域経済の活性化の両立を図る施策として位置づけられている。 また、富士トラムの導入により、五合目への来訪者数の適切なコントロールが可能となり、自然環境の保全と持続的な観光の実現に寄与する。さらに同構想は、山梨県を国際的に開かれた地域へと発展させる役割も期待されている。
技術的には、富士トラムは鉄道とバスの特長を併せ持つハイブリッド型の交通システムである。車両は鉄道のような高い輸送力や快適性を備え、複数車両の連結や双方向運転が可能である一方、タイヤ走行により急カーブや急勾配への対応も可能となる。最高時速は約100kmに達し、高速輸送にも対応し得る性能を有している。 一方で、ステアリング機構を有する点は従来の鉄道との大きな相違であり、専用軌道に依存せず柔軟なルート設定が可能である。こうした特性は、富士山周辺の地形条件や環境制約に適応した交通手段として有効であると考える。
③海外における先行事例と技術動向
同様の技術が既に海外で実用化されている点について言及する。中国中車(CRRC)が開発したART(Autonomous Rapid Transit)は、中国四川省宜賓市において既に運用されており、電車と同様の安定した走行性能を実現している。 同システムは、AIを活用した中央管理により効率的な運行が可能であり、少人数での運用体制が構築されている。また、一定期間にわたり大きな事故が発生していない点も安全性の観点から注目される。
中国中車は従来型の路面電車(LRT)も手がけているが、近年は新規導入についてはARTを中心とする方針を採用しているとされる。その背景には、維持管理コストの低さや自動運転への対応可能性など、経済性および技術的優位性があると指摘される。こうした動向も踏まえ、富士トラム構想は次世代交通システムとしての位置づけを持つものといえる。
④富士トラムネットワーク構想
富士トラムを単なる単線の観光交通ではなく、広域交通ネットワークの中核として位置づける。すなわち、富士山とリニア駅を結ぶ基幹ルートを起点とし、そこから峡東地域のワイナリーエリアや静岡・長野方面、さらには八ヶ岳や小淵沢といった周辺地域への延伸を視野に入れている。
このネットワークを基盤として、地域における二次交通の骨格を形成し、次の段階では自宅周辺までのラストワンマイルを自動運転タクシーや公共ライドシェアと組み合わせる構想を示す。人口減少の進行に伴い、地域の交通機能が縮小する中にあっても、こうした仕組みにより広範な地域において持続的な移動手段を確保することが可能となる。
また、日本各地で課題となっている赤字ローカル線の問題についても言及する。特に地方部においては維持が困難な路線が増加しており、従来の延長線上での対応には限界があるとの認識が示された。この課題に対する一つの解として、ARTのような柔軟性の高い交通システムの導入が有効であるとの考えである。 具体的には、既存の鉄道路線の活用方法を見直し、不要となった鉄路を活用して専用走行空間へ転換することで、交通インフラとしての再生を図るという着想である。こうした取り組みは、既存資産の有効活用と維持コストの低減の両立を目指すものでもある。
山梨県としては、富士山という厳しい自然条件のもとで実証を行うことで、技術的安全性および運用適性を検証し、その成果を全国展開へとつなげることを狙う。富士山周辺は急勾配や急カーブ、さらには寒冷地特有の環境条件を有しており、ここでの実証は高い信頼性を担保する指標となり得る。一方で、国内においては新たな交通システムの導入に対する産業側の反応は必ずしも積極的とは言えず、既存の鉄道やバスの枠組みにとらわれた発想が障壁となっているとの指摘もなされた。これに対し、海外では従来の交通体系にとらわれない柔軟な発想が見られ、新しいモビリティの導入が進んでいる。
国際的な動向も踏まえつつ、山梨県としては国内製造による技術確立と産業化を志向しており、新たな交通システムを地域づくりの中核として位置づけていく考えである。
3.100年先を見据えた都市緑化
①100年の森が都市を育む―山梨緑化100年構想
最後に、100年先を見据えた都市緑化について言及する。山梨県では、リニア山梨県駅周辺を起点として、市街地と自然を連続的に結ぶ都市構造の形成を目指し、長期的な緑化の指針として「山梨緑化100年構想」の検討に着手した。
現在の日本の都市景観については、地域ごとの差異が乏しく、画一的な景観が広がっているとの問題意識が示された。これは欧州や他のアジア諸国と比較しても特徴的であり、今後の都市形成においては見直しが必要であると指摘する。その転換点として、リニア中央新幹線の開通を契機に、甲府盆地全体の都市環境を抜本的に変革していく考えが示された。
そのモデルとして参照されるのが明治神宮である。明治神宮の森は人の手によって計画的に造成されたものであり、長期的な視点で育成された都市緑化の成功例と位置づけられる。また、そこから連続する表参道は、日本において高い付加価値を生み出している都市空間の一例であり、緑が都市の価値向上に寄与していることを示している。 具体的な検討の過程では、リニア駅周辺の景観形成に関する議論も行われる。駅前空間について、無機質な構造物による圧迫感が課題となり得るとの指摘を踏まえ、駅前一帯を緑化することで景観価値の向上と調和を図っていくとしている。
また、現状においては、山梨県の住民は身近な自然環境に恵まれていることから、市街地における緑の不足に対する問題意識が必ずしも高くないとの認識が示された。今後は、都市部における緑化が不動産価値や地域の魅力向上に直結することを共有し、住民の意識変容を促していく。 こうした取り組みを進めるにあたり、都市価値の向上や不動産価値への波及効果といった観点から、民間の知見の活用が重要であるとの認識が示されており、ビジネスの視点を踏まえた議論の深化が期待される。
結び
本講演では、水素社会の実装、富士トラムによる交通網再編、そして100年先を見据えた都市緑化という三つの柱を通じて、山梨県が描く将来像が示された。いずれも個別の施策にとどまらず、産業、交通、都市の各分野を横断しながら相互に連関することで、持続可能な地域社会の実現を目指すものである。
人口減少や社会構造の変化といった課題に直面する中にあっても、地域固有の資源を最大限に活用し、新たな価値を創出していく姿勢が強調された。山梨県におけるこれらの取り組みは、先進的な地域モデルとして、今後国内外へ展開されていく可能性を有するものといえる。
知事は、こうした挑戦を通じて、山梨県を世界に開かれた持続可能な地域として発展させていく考えを示し、講演を締めくくった。